「星星峡」編集後記

初出:「星星峡」2004年9月号~2010年9月号
アートディレクション:鈴木成一デザイン室


●2004年9月号


「星星峡」という言葉を聞くと、89年の春、インドの北の果て、ラダックをひとりで旅したことを思い出す。標高3,500m、カラコルム、ヒマラヤ大山脈に囲まれ、冬は雪で完全に閉ざされる地、ラダック。砂漠のようなひからびた土地にチベット密教の寺(ゴンパ)が点在している。バスを降りて、ひとりとぼとぼとティクセ・ゴンパに向かって歩いていたとき、要塞のような丘の上に、1人の若い僧がいた。臙脂色の僧衣の後ろには、目が痛くなるような群青色の空。瞑想しているわけでもなく、ただ雪の残るヒマラヤの風景を眺めているその僧に手を振ると、気がついた彼はゆったりと手を上げてくれた。地上には人間が2人しかいないようだ。
また、もう一度、「星星峡」という言葉を聞くと、同じラダックのレーという都市郊外の山上にあった日本山妙法寺を訪ねたことを思い出す。遠く日本を離れひとりで寺を守る中村上人とあれこれ話をしていたら、いつのまにか夜更けになっていた。上人にさよならを告げて、これ以上はないだろうという漆黒の闇の中、山をおそるおそる下りる。降るような星々、ミルキーウェイはほんとうに白い河に見えるのだった。足下にも星があるような上下がわからなくなる空中感覚。やがて目が慣れて星明かりでうっすらと遠くに見えてきたのは、黒いビニールで被われた中国からの難民キャンプだった。
星星峡とは「中国最北地区西部に位置する街」ということだが、どう考えたって、あそこも星星峡だったと思う。(ほ)

●2004年10月号

毎朝、播磨坂を登って、茗荷谷駅へ続く春日通りを歩く。逆方向に歩いてくる通勤の人たち。ある日、向こうから歩いてくる女性が目についた。小太りでオシャレとはいえない地味なファッション。
彼女は、どういうわけか、うれしくて仕方がないという表情だった。胸には、両腕で抱えるようにした一冊の大きな本。近づいてくる彼女は、とうとう待ちきれなくなった様子で、本を広げて読みはじめた。読みたくてたまらない本が手に入ったからニコニコしていたのだ。本に頭を埋めるようにしているので、顔が見えない彼女が横を通り過ぎるのを見ながら、あの本はなんて幸せなんだろう、と思った。
一瞬、永島慎二「漫画家残酷物語」にこんな話があったはずだと思い出す。作者の分身である主人公が、意に添わない作品を代作で描かされて悩み、街を歩いていると、ある親子が目についた。母親に抱かれてすやすや眠る子どもの手には、一冊の本がしっかりと握られていた。その本は作者がかつて描いた入魂の一冊だった。それを見て作者は泣く。あんなに大事にしてくれる読者がいる、描きたい作品を描いていこう、と。そして、代作をやめようと決心する。間違っているかもしれないが、大筋はそんな話だった。
大事にされる本、読むのが待ち遠しくて仕方のない本、抱きしめたくなる本。そんな本を作ることに関わっていきたい、と通り過ぎる女性を見て、いまさらながらに思う。
彼女が通り過ぎていく。読んでいた本は「花とゆめ」だった。この雑紙のタイトルは誰がどのような意図を持って命名したのだろう。永久不滅の完璧なタイトルだ、とつぶやきながら、混雑する丸ノ内線に飛び乗った。(ほ)

●2004年11月号

仕事を終えて午前2時、タクシーで帰宅して、鍵を持っていないことに気がついた。この時間ではどうしようもない。家族を起こすことはあきらめて、タクシーで大塚のビジネスホテルに行ってみるが、どこも満員で入れない。仕方ない、駅前のファミレスで夜明かしすることにした。
午前2時半、「アフターダーク」。人のよさそうな年いった風俗嬢(としか見えない。嬢でもないが)コンビがテーブルいっぱいに頼んだ料理を並べ、なにやらうれしそうに食べている。大塚・巣鴨は名だたる熟女風俗ベルト地帯なのだ。ひとり日本語教本に目を近づけて勉強する、若い中国人。黒いスーツを着たホスト3人組が馬鹿話をしている。分厚い本を読んでいる大学生っぽい女性。パソコン談義に花をさかせるおたく2人。
出来上がったばかりの「星星峡」最新号を隅から隅までじっくりと読む。午前4時。ますます目がさえて本が読みたくなってきた。荷物を置いたまま、ファミレスの1階にある山下書店で本を探す。虚心坦懐にと思いつつ、宮本輝「螢川・泥の川」を手に取る。もちろん既読書だったが、今この真夜中に読んでみたかった。席に戻って、じっとりと深く深く物語世界に入って時間を忘れる。お化け鯉がポンポン船を追う頃には、外が明るくなっていた。(ほ)

●2004年12月号

旧友の訃報が届く。鬱病だった、という。ある作家が話していた「自分のことが書いてある匿名掲示板を読むと死にたくなる」という言葉が頭の中をめぐる。昔であれば、知りようのない悪意そのものが、膨大な量の言葉となってネットに蓄積されている。検索すれば一発だ。それらが人の心の現実なんだ、と認識してしまう人もいるだろう。ますます生きづらい世界になっている、と思う。
出来上がった「星々峡」を読む。紙の白さがまぶしく、印字された明朝体の文字が美しい。紙に定着している物語は、なぜかやさしい。たとえそこにどのような生きづらさが描かれていようとも。
世界に耳をすませば、聞こえてくるのは、憎悪かそれとも福音か。正しく聞き、読み取る力を鍛えたい、と思う。(ほ)

●2005年1月号


けらえいこさんの「お母さんとイタリア」が、先月号で最終回を迎えた。イタリアのヴェネチアを家族で旅行した話で、傑作「あたしンち」のその後の物語とも読めるうれしい連載だった。
おかげでヴェネチアへの憧れがつのっていたのだが、昨秋、急に仕事で行くことになった。ヴェネチア・ビエンナーレの日本館のコミッショナーを「趣都の誕生」の森川嘉一郎さんがつとめることになり、そのために編集したカタログ「おたく:人格=空間=都市 ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展-日本館 出展フィギュア付きカタログ」という長い題名の本を売ることになったからだ。
完徹したまま飛行機に飛び乗り、約15時間。ヴェネチア本島に着くと、もう真夜中。ホテルを探しだして、ぼんやりと灯りのついているフロントでチェックインする。ニヤニヤしているフロントマンは、水木しげる「悪魔くん」に出てくるメフィストそっくりの顔だった。
となりのラウンジから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。悪魔のような……、と言えなくもない関西弁。敬愛する海洋堂の宮脇修一専務(現・社長)だった。専務を取り囲み、ビエンナーレの出品者たちであるおたくの巨匠達がまさしくおたく話に花をさかせていた。かつてカフカも泊まったという質素だがクラシックなホテルで談笑する彼らの姿は、なぜかしっくりと似合っていて、ほっとした。
結局、滞在3日間、ほとんどビエンナーレ会場にいて、カタログは大人気で、空輸した650部完売した。日本館にいると、そこは秋葉原のラジオ会館やコミケ会場とほとんど変わりないのだった。仕方がないので、けらさんの「お母さんとイタリア」が単行本化されたら、しっかりと読み込んで、ヴェネチアの旅情を味わいたいと思う。 (ほ)

●2005年2月号

“韓国のオタキング”といわれる宣政佑さんに言わせると、「冬のソナタ」には、アニメ「キャンディ・キャンディ」の影響が非常に大きく、脚本家である女性もそのことを明言しているらしい。「冬ソナ」は、「貴公子を純愛するかわいらしい私の物語」という古き良き少女マンガの王道を踏んでいるのだろう。女性であれば、誰だって少女マンガ的なものに憧れる時期があり、大人になった日本の女性がその頃を振り返って、憧れを再燃させているということが韓流ブームの根底にあるのかもしれない。
では、男はどうか。男だってあるよ、と思う。まだ童貞の頃に感じた異性へのときめき、憧れ、恐れ。好きな女の子の家をつきとめるとか、誰もいない放課後、好きな女の子の席に座ってみるとか。あの時代の感情に匹敵するものは、一生のうちではもうない。「童貞時代が長かったやつほど想像力豊かな人間になれる」と、みうらじゅん+伊集院光の名著「D.T.」でも、大きく主張されている。
童貞喪失にいたる人生最高の時代を描こうとして、みうらじゅんさんの連載小説「自分なくしの旅」がはじまった。宮藤官九郎脚本、田口トモロヲ監督で映画も大ヒットした「アイデン&ティティ」の、その前の時代の物語。読んでいると、自分が童貞や処女だった時代がリアルに甦ってきます。(ほ)

●2005年3月号

昼休み、ひとりでランチを取りに行く時、帆布製のトートバッグに1冊の本を放り込む。本がすとんと滑り込んでいく様子がなんともいい。そのとき、きまって頭の中で、群ようこさんの名著「鞄に本だけつめこんで」(新潮社)という言葉が浮かんでいる。24編の近代日本文学を紹介しつつ、本好きの、本を愛する著者の、しみじみとした生活が伝わってくる本だった。
この本での尾崎翠「第七官界彷徨」の紹介が面白くて、のちに出た群さんによる評伝「尾崎翠」(文藝春秋)とともに、しばらく尾崎翠の世界にはまった。“第七官界”とは、五官(目・耳・口・鼻・皮膚)以外の世界のこと。熱い肥やしを蘚にかけるとあら不思議、蘚が喜んで恋を始めるという、狂った臭いがたちこめる物語だった。
毎回楽しみにしていた群さんの連載「音の細道」も今回で最終回。臭いではなくあれこれ音の世界を縦横無尽に彷徨する秀逸なエッセイだった。単行本になったら、鞄に入れて出かけたい本になることは間違いないと思う。 (ほ)

●2005年4月号

人を殴ったとき、人から殴られたとき、お互いの心と体には何が生まれているのだろうか。泣いたり、大笑いしたり、悲しくなったり、切なくなったりしながら、毎回楽しみにしていた「ワルボロ」もとうとう最終回。なぜか「僕が固い石をぶつけると、君は『痛い』といってくれるだろうか」(天久聖一)という古い本のタイトルが浮かんできた。作者に殴られたようにそのパンチが胸の奥に熱く響く作品だった。単行本が楽しみ。今月から表紙も小林愛美さんの絵にリニューアル。いつもの強力連載陣に加え、荒山徹さん、松井雪子さんの新連載もはじまりました。どれもほんとうに目が離せません。(ほ)

●2005年5月号

早稲田に住んでいる著者を訪ねた帰り、旧知の古書店Ⅰ書店に寄った。入ってすぐの大テーブルには、レアで美術品のような稲垣足穂の本が10冊ほど陳列されている。棚に並べてある本のセレクションも素晴らしく、立ち読みしているとあっという間に時間がすぎる。
店主からこんな話を聞いた。ある大学教授が亡くなり、その夫人はテレビでCMをやっている新古書店を呼んで、蔵書をすべて処分した。店主が知らせを聞いて飛んで行ってみると、夫人は新古書店がゴミと判断して引き取らなかった本を処分する寸前だった。店主はすぐさまそれらを見て40万円の値付けして購入、軽トラックで持ち帰った。そこにあった本は「私から見たら宝の山だった」という。「もしも私が買わなかったら、そこにあった本は永久に消えてしまうところだったよ」。
おかげで、その本たちは、この美しい本屋に陳列されることになり、誰かに買われて、大きな影響を与えたり、役に立っていくことだろう。そして、さらにその人が処分しないかぎり、本は永遠に人の間をめぐっていく。古書店とは、そういう場所なのだった。
誰かの宝物になってもらうべくして、松井今朝子さん、都築浩さんの新連載がはじまりましたよ。(ほ)

●2005年6月号

5月のある土曜日、ぶらりと近所にある小石川図書館を訪れると、フリーコンサートをやっていた。会場に入り、しばらくすると、吉増剛造が現れる。トンカチで静かに机を叩いたり、薄い金属板を曲げてたり、古い小学校の教室を思わせる小ホールの反響音を確かめている。「ああ、こんな音を響かせてくれる場所は、もうあまりないですね」とぽつり言う。イタリアで自著の翻訳が出て、その文庫本ほどの深紅の詩集の、個体としての出来が素晴らしく、手触りがたまらないとも言う。やがて、ささやくようにして詩(「赤馬行」・『新潮』2005年3月号掲載)の朗読がはじまった。はっきりくっきりとしている音声のみが正しいというわけではなく、繊細な揺らぎのある日本語の聴き方、発声の仕方があるという気づき。夫人・マリリアによるイタリア語の朗唱や千野秀一(ピアノ)、今井和雄(ギター)の即興演奏も重なり、力強く佳境に入っていく。「(荒馬)赤馬、静かに(be quiet please)アメリカ」。自らの言葉に喚起され、ある電流に満たされる詩人。壇上を歩き始めた彼は、先の赤い本をパタパタと大仰に開いたり閉じたりしながら、ついには開いたまま頭の上に置いて叫びはじめた。愛する「本」への愛情をそこまでして表現できることに驚嘆する。帰宅して、夜。自分が読む本をめくる音に耳を澄ませ、また少しだけ小声で朗読してみた。(ほ)

●2005年7月号

「正助、なにをニヤニヤしてるだ?」
「ウム、いまいいことを考えてるんだ。みんながたすかる すごくすばらしいことなんだ」

白土三平「カムイ伝3 第2章のろし」(小学館)の一節。下人(百姓よりも身分が下で使用人)の正助はまだ少年。その才覚で文字を覚え、本を読み、知恵を使って、徐々に周りから信頼を勝ち得ていく。引用は、稲刈りの休憩中、ふと物思いにふけっているときの、父と正助との会話である。子供の正助だが、文字を知っているが故に、庄屋の年貢計上数字の不正を見抜いて糾弾したり、センバコキ(脱穀機)を発明したり、滑車を使って効率よくものを運んだり、と様々な「みんながたすかる」ことを思いつき実行する。その後、正助は壮大な悲劇を生き抜いて行くことになるのだが。
今だったら「みんながたすかる、すごくすばらしいこと」とは何だろうか。本を読みながらいつでも正助のように「いま、いいことを考えてる」と、ニヤニヤと笑っている状態にいたいな、と思う。(ほ)

●2005年8月号

小誌連載陣で三浦しをんさんと松井雪子さんがそれぞれ候補にあがっていた、第133回直木賞・芥川賞受賞作が7月14日に発表された。その少し前、やはり小誌連載陣みうらじゅん氏により6年ぶりに第7回みうらじゅん賞が発表された。受賞者は、次の通り。熊田曜子(グラビアンの最高峰!)、井筒和幸(映画『パッチギ』の功績を評して!)、猫ひろし(今あげとかないと!)、リリー・フランキー(夜中にも関わらず、飲み屋に必ず来てくれるから)、峯田和伸(映画『アイデン&ティティ』の“中島”はこいつ以外いない!)、ジャガー(12年振りのカムバック!)、リチャード・ギア(『Shall We Dance?』鑑賞後、丸井ヤング館に足を運ばせ白いカッターを買わせるほどの影響力を受けたから)。(ほ)

●2005年9月号

爆笑問題の太田光さんは、尋常ではない読書家だ。例えば、ある月に読んだ本といえば、三崎亜記『となり町戦争』、橋本治『戦争のある世界』、T・クローバー『イシ』、恩田陸『夜のピクニック』、鶴見俊輔『戦争が遺したもの』、柳田国男『21世紀の日本人へ』、東野圭吾『さまよう刃』、宮本常一『忘れられた日本人』……。毎日、ゴールデンアワーのテレビに出ていて、忙しさも尋常じゃないはず。
あるとき「いつ、どこで本を読んでいるんですか」と聞いてみたら、なんと移動中の車の中だという。所属事務所の車の太田さんの席には、夫人が特注した読書に最適なライティングがされていて、そこで読む。華やかなスポットライトを浴びて、相方の田中裕二さんとともに、日本中を笑わせるギャグを言っていたかと思うと、車中の小さな灯りで、ひとり静かに本を読んでいる姿が思い浮ぶ。
芥川龍之介の短編「少年」で、震災後の東京、堀川保吉が満員の乗り合いバスに乗ると、同乗していた宣教師が、何ごとも忘れたように小さい横文字の本を読みつづけていたという話があった。保吉は、その宣教師のまわりに、大勢の小天使がいて、読書の平安を護っている様子を想像するのだった。どれだけ過酷な状況にいても、読書する時の、読書する人の平安だけは守られる、そう思う。(ほ)

●2005年10月号

しりあがり寿「葬送の歌には」(「瀕死のエッセイスト」所収/角川書店・ソフトマジック)で、瀕死のエッセイストが病院で知り合った加藤さんは、臨終にかける音楽をピンクフロイドの「エコーズ」と決めていた。「エコーズ」を聴いていると、いつでもラストは、天上から円盤が降りてきて、自分を乗せ静かに上昇していく、そんなせつなさにとらわれる。その感触がうまく物語に生かされていた。
では、死ぬ間際に読む本は、いったい何だろうか。よくある本のランキングに挙げられるものと違って、それは非常に個人的なものだろう。子供の頃、親に読んでもらった本、好きな人から借りた本、旅に持っていった本、涙を流して読んだ本、真理を説く本……。ときどき考えたり、友人と話したりするが、そうそう簡単には答えは出ない。その本はすでに読まれているのか、それともまだなのか。
「葬送の歌には」で、結局、夜になって加藤さんは容態が急変し、たった一人で「エコーズ」も聴けずに亡くなった。実際は本を読みながら静かに死ぬ、なんてことはないのかもしれない。それでも、いつか臨死本を決めておきたいし、臨死本に出会いたい。(ほ)

●2005年11月号

JR東日本の「大人の休日倶楽部・信州千曲川篇」の広告ポスターを駅で見た。吉永小百合がクラシックなホテルでベッドに横になったり、椅子に腰掛けたりして、本を読んでいる。問い合わせてみると、ホテルは軽井沢万平ホテルで、本は島崎藤村「千曲川スケッチ」だった。本の情景を追いつつ、亡き父の鎮魂をこめて旅を続けている、というような設定らしい。このときの、本を読んでいる60歳の女優の顔は、少女のようにあどけなく無防備で美しい。
隅田川乱一「穴が開いちゃったりして」(石風社)を読むと、その後書きで、早逝した著者の妻が「彼の読書する姿はたしかに神々しく、私はいつも見とれていました」と記していた。本を読む、ということは、実はものすごいことなのかもしれない、と思う。(ほ)

●2005年12月号

村上春樹『東京奇譚集』(新潮社)を読んだ友人と、これまでに自分の周りに起こった“奇譚”についてあれこれ話していた。私がまず話したのはこの話。
10年ほど前に編集していた月刊雑誌(『宝島30』)で、リリー・フランキーさんの連載コラムを担当していた。タイトルは「すべての若き野郎ども」。デビッド・ボウイの曲をモット・ザ・フープルが歌って1972年頃にヒットした曲名からリリーさんが考えた。「生きていたくはないさ。25歳ともなれば」と、今は亡きミック・ロンソンのギターが甘く悲しく切なく響く曲だった。
あるとき、たまには飯でも食おうと、彼と渋谷の焼き肉屋に行ったことがあった。渋谷パルコの近くだったので、ちょうど開催されていた写真展に寄ろうということになり、その会場に入った。すると、偶然「すべての若き野郎ども」がBGMで流れはじめた。お互いに顔を見合わせ、にやりとした……という話から始まって、ちっぽけかも知れないけども、思い出そうと思えば、かなりの数の“奇譚”が出てきた。結論は、長く生きれていれば不思議なことなんて普通に沢山起こる、ということ。すると、これからも確実に起こるな、となんとなく笑ったりして。(ほ)

●2006年1月号


大田区に住んでいる伯母に会いに行った際に、同じ敷地内の家に住んでいる遠縁の小母さんに挨拶しに行った。日曜だったので空気もきれいで、晴れ渡った高い空に暖かい秋の昼下がり、105歳になる小母さんは、縁側の籐の椅子で気持ちよさそうに日光を浴びて大判の本を読んでいた。
娘と一緒に縁側の窓を開けて、大きな声で「こんにちは。お久しぶりです。お元気ですか」と声をかけた。気がついた小母は、本を置き、「あら、久しぶりね。(娘に)いくつになったの?」と聞くので、娘が指をそろえて「5歳!」と答えると、「そう。小母さんと100歳違いね」と、少しビブラートのかかった上品な声と笑顔で言った。
「100歳」という言葉に、御典医の家系に生まれ、京都の女子大を出た後、親の薦めるまま医者と結婚、夫が開業する当時日本領だった台湾について行ったが、やがて現地に赴任してきた小学校教諭と恋に落ち……などと、断片的に知る小母の歴史が瞬時に想い浮かぶ。テーブルに伏せてある本の表紙をのぞき見た。「ハイネ詩集」だった。(ほ)

●2006年2月号

30年ぶりくらいに「ブラザー・サン・シスター・ムーン」(F・ゼフィレッリ監督)を観た。アッシジの裕福な商家に生まれたフランチェスコが、信仰に目覚め、無一物の貧しい共同生活を送りながら布教活動を始めるという物語。鳥と話をするというフランチェスコを讃えるようにして随所に流れる、ドノヴァンの音楽が美しい。
そして、30年前も今も、いちばん気になるのは、ラスト、教会から異端と断罪され、アッシジを追放されかかっているフランチェスコが、荘厳なローマ教会に出向いて教皇に面会、乞食同然の姿でイエスの教えを説くシーン。
当然不敬であると大騒ぎになり、衛兵によって退場させられるが、なぜか教皇は突然啓示を受けたように天を仰ぎいでフランチェスコを引き戻し、「神の宿りはその手、その足に」と言って、フランチェスコの汚れた素足にキスをするのだった。
騒然となる教会の幹部たち。ドノヴァンのメロディーが流れ、物語はクライマックスを迎えるが、ある幹部が隣の者にこうささやく。「心配するな。教皇は役者だ。これで貧乏人どもがおとなしくなる」。
教皇のパフォーマンスは自分の利益のための演技だった、ということだが、ここで、この30年の間に見てきた政治家や詐欺師の、様々な“演技”がずらーっと脳裏に浮かぶのだった。(ほ)

●2006年3月号

ジョン・コルトレーンの超名盤「Ballads」を聴いていたら、4曲目がティム・バートン監督の映画「エド・ウッド」のテーマ曲だということに気がついた。「エド・ウッド」は、史上最低の映画監督といわれたエド・ウッドの映画への情熱と純粋な姿を、狂おしいまでユーモアたっぷりに描いた傑作。主役を演じるジョニー・デップの演技といったら、「チャーリーとチョコレート工場」のウィリー・ウォンカに劣らぬ唯一無比に天才的なのだった。
とか思っていたら、映画監督・河崎実氏から久々に連絡があった。自分が監督した「いかレスラー」の次の映画、「コアラ課長」がまた成功したので、次は「ヅラ刑事」をやって、さらにその次は「えびキーパー」をやるという。その間には筒井康隆原作の超大作「日本以外全部沈没」もあるらしい。その超人的なバカ映画への熱意は、どう考えても本人がいやがるティム・バートン版「エド・ウッド」にかなり近い。コルトレーン「Ballads」の4曲目のタイトルは「All Or Nothing At All」(全てか、あるいは全く何もなし)。上機嫌で鼻歌を歌いつつ、きっぱりと潔く仕事をしていきたいものだ。(ほ)

※後日わかったことですが、「Ballads」の4曲目が映画「エド・ウッド」のテーマ曲であるというのは、私の勘違いでした。失礼しました。

●2006年4月号

表紙のイラストも模様替えの今月号は、都築浩さんの「カーマは気まぐれ」が新たに始まります。意味深げなタイトルは、美しき人ボーイ・ジョージ率いるカルチャークラブの83年のヒット曲から。はやくも、おたくの男とコールガールの恋を描いた、タランティーノの処女脚本映画「トゥルーロマンス」を超える物語になるのは、間違いありません。ぜひ読んでみて下さい!(ほ)

●2006年5月号

「星星峡」は今号で100号です。それを記念して、清水良典さんによる「清水良典賞」が制定されました。今号から1年間、毎月、一冊の「読ませたい本」がノミネートされ、12カ月目にノミネート作から選ばれた受賞作が決まります。清水さんのまったくの個人的判断による個人的な賞です。どんな本がノミネートされていくのか、今からとても楽しみです。(ほ)

●2006年6月号

本誌に連載されていた都築浩さんの「DOG’N’ROLL!」は、全面的に改稿されて、「トンスラ」というタイトルになり、単行本として発売中です。映画「下妻物語」で強烈な存在感が爆発していた土屋アンナさんも「あなたの頭の中もヤブ虫に支配されてしまうかも!?」と、激賞してくださっています。主人公ミカの深紅の部屋訪れる聖なる救いを、絶妙に表現した鈴木成一さんによる表紙も必見。書店で見かけたらぜひお手に取ってみて下さい。(ほ)

●2006年7月号

仕事でレインボーブリッジを中心にお台場を箱庭のように見渡す超高層マンションに何度も足を運んだ。外資系高級ホテルのようなインテリアとサービスの部屋から、新幹線、モノレール、ゆりかもめ、首都高、都バス車庫が交差し、羽田に発着する飛行機と竹芝桟橋からの船が行き交うのが見える。幸福、金、仕事、名声、住居、家族、友達、年齢、病、生きることについて考えた。(ほ)

●2006年8月号

深夜、帰宅するとテーブルの上に「よくはたらきたい」という短冊が置いてあった。5歳の娘が、保育園の七夕祭の笹にぶら下げるために書いたものだった。きっと意味はわかっていないだろう。いったいこの子が大人になって、働き始めた頃、世の中はどうなっているのだろう。「よくはたら」ける人になっているだろうか。翌日、深夜帰宅して、電気をつけるとテーブルの上には、「みすたぁいんくれでぃぶるになりたい」という短冊があった。「よくはたらきたい」という短冊はゴミ箱に捨てられていた。(ほ)

●2006年9月号

夏休みの読書といえば子供の頃からSF。初めて読んだ文庫本は、お盆で祖父母の家に帰省していた時に従弟に薦められた星新一「ボッコちゃん」だった。21世紀に憧れていた小学5年生はそのモダンなセンスに夢中になった。そして、今年はダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」( ガース・ジェニングス監督)に痺れまくり。映画は一度見てしまうと、もう頭の中から「魚をありがとう」の音楽が消えない。そうか、そうだったのか、「人生、宇宙、すべての答え」がわかってしまった2006年の夏でした。(ほ)

●2006年10月号

毎月、清水良典賞受賞作を読む。今月は青山真治『雨月物語 UGETSU』。溝口健二の同名映画を思い浮かべつつ、スリリングに読んだ。雨月物語は、いつ読んでも、耽溺できる。落ち込んでいるとき読む。北原白秋が姦通罪で訴えられ、傷心のまま小笠原に逃れ、さらにそこにもいられずに、三崎の見桃寺に俊子夫人と寄寓していたときの歌、「寂しさに 秋成が書 読みさして 庭に出でたり 白菊の花」を思い起こす。本は救済なのだろう。エリ・エリ・レマ・サバクタニ……。(ほ)

●2006年11月号

コミケの創始者、米沢嘉博さんが10月1日、肺癌で亡くなられた。享年53歳。下北沢での打ち合わせや、ヴェネチア・ビエンナーレの日本館脇の木陰で話をしたのが思い出される。コミケ30周年の今夏は、3日間で48万人の人を集めた。60年代カウンター・カルチャーを象徴するウッドストックが3日間で40万人だから、それを軽く上回る。読売新聞に「もう10年長生きしていたら、米タイム誌の表紙を飾ってもおかしくなかった」と書かれていたが、その通りだと思い、合掌する。
現在のコミケ会場であるビッグサイトを出ると、右手に癌研有明病院、左手に有明ワシントンホテル、さらに左に巨大観覧車とフジテレビが見える。この道を歩くといつも、コミケで青春を燃やした若い人もいつか癌研病院の窓から、ビッグサイトを眺めて、その生を終えるときが来るだろうな、と思う。コミケをめぐる青春物語でもある木尾士目「げんしけん」は心底傑作だが、主人公らの50年後の物語を読みたい。(ほ)

●2006年12月号

25年ぶりくらいにヒカシューを見た。巻上公一は少しも変わらず天才の顔に爛々と光る目をもっていた。この年月の間に、口琴、テルミン、ホーメイの超絶的な技巧と太極拳の踊りを身にまとったアルチザンと化していて、人間と声帯と身体はどこまで使いきれるのかという研究成果を圧倒的に具現していた。テルミンのパフォーマンスは、まるでジミ・ヘンドリックスが武道をやっているかのようで、その狂い方が素晴らしかった。
「生まれた時は裸のままで知らずに空気を吸う 過剰なるもの不足なるもの 不思議に心を打つ 人は自分にあきたらなくて 手足を歪めてみる 心の打ち身 魂のねんざ きまぐれな神の愛」とは、メロトロンのイントロがいつまでも心から離れない傑作「ト・アイスクロン」の歌詞だが、「人は自分にあきたらなくて 手足を歪めてみる」を、ずっとやり続けるしかないのだ。それでいいのだ、と思う。(ほ)

●2007年1月号


師走のタイタンライブの大トリは、立川談志さんだった。秋頃、ぶらりと爆笑問題さんの事務所に現れて、「もうそろそろ死に時だ、落語をやるからライブに出せ」と言われたらしい。
太田光さんのリクエストで、演目は「ねずみ穴」だった。博打で文無しになった弟が商いで成功している兄の元を訪ねて無心すると、兄は三文を渡す。「たった三文で何が出来る!馬鹿にしやがって!」と弟は怒るが、逆に奮起して、蔵を三つも建てるまでに成功する。兄に金を返しに行くと、兄は「わざと三文で突き返した。よくやった」と泣いてわびる。和解した夜、弟は兄の家に泊まるが、その夜、火事が起きて、弟の蔵にはネズミの穴から火が入り、三つとも全焼してしまう。弱り目に祟り目、それからは何をやってもうまくいかない。再び文無しとなった弟は、兄からも拒絶され、娘を吉原に入れて作った元手五十両もスリにすられる……。だが、それは兄の家で寝ているときの夢だった。というような話。
円生が得意とする人情話だが、円生と違い、談志は「たぶんこの兄は嘘をついている。本気でケチだったんだよ」と、落語が終わってからぽろりと言った。噺の中でも実際にそのように聞こえた。弟が見た悲惨な夢もまた、談志の解釈では正夢かもしれないということになり、大きく意味合いが違ってくる。談志落語の凄さをまざまざと見せつけられた夜だった。(ほ)

●2007年2月号

映画「イージーライダー」で、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーのヒッピー2人組が、無許可でパレードに参加したとかで、留置場にぶち込まれるシーンがある。
そこで彼らと友達になるのが、地元の名士の不良息子で弁護士でもあるジャック・ニコルソン。最初、喧嘩を売っていたホッパーだったが、ニコルソンが弁護士であるにもかかわらず、自分たちの味方をしてくれているとわかって、「あんた、デュード(Dude)だね」と言う。「デュード?」とニコルソンが意味がわからないでいると、フォンダが、余裕で笑いながら、「いい男、って意味だよ」と言う。
そうか! コーエン兄弟の映画「ビッグ・リボウスキ」のヒッピーくずれの主人公、ジェフ・ブリッジズが、「俺のことはデュードと呼んでくれ!」というが、そういうことだったのか。ディヴィッド・ボウイ「All The Young Dudes」(邦題は「すべての若き野郎ども」)のデュードも、そういうことだったのか。
「dude」を、あらためて辞書でひいてみると、ちゃんと載っていた。「dude=1《主に米俗》気取り屋、めかし屋(dandy)、やつ、男。2《米古風》都会育ちの人、都会人、《米西部・カナダ》休暇を牧場ですごす東部人[観光客]。3《主に米》気取り屋の、おしゃれの」(プログレッシブ英和中辞典)。うーん、映画のおかげでなんとなくニュアンスがわかるから、なおさら意味が難しい……。
村上春樹の新訳「グレート・ギャツビー」では、主人公の口癖である「old sport」(野崎孝訳では「親友」)を「オールド・スポート」と訳し、「日本語では表せない」と書いているのを読んで、デュードのことを思い出していました。ちなみにあるネットで見た訳では、「old sport」を「尊公」と訳していて爆笑した。思うに「old sport」はギャツビーが英国の上流階級を気取る言葉なのだろう。(ほ)

●2007年3月号

2月のある土曜の午後、大好きな書店、池袋ジュンク堂を狩猟。4階のカフェで獲物をひもといていると、「星星峡」を発見。そこはほとんどの出版社のPR誌がテーブルの上に備え付けられてありました。テラスもありウッディで落ち着いたカフェに、鈴木成一デザイン室の装丁にあずみ虫さんのイラストの「星星峡」が、美しく馴染んでいました。手に取ると、いくつか頁を折った後があって、読まれたことがわかりました。うれしい気持ちになりました。(ほ)

●2007年4月号

野放図に欲望を拡大させていく資本主義世界の大きなターニングポイントが、一九七九年のイラン革命であり、日本人はその転回に無自覚だった、と坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』にある。
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』は、まさにそのイラン革命直後が舞台であり、女達が隠れてナボコフ『ロリータ』を読む物語だった。イスラム世界では、ポルノはもちろんDVD「失楽園」も「セーラームーン」も持ち込み禁止、女性誌の表紙でVネックの肌も黒塗りされ、芸術作品「ミロのヴィーナス」でさえ忌むべきものなのだ(「東洋経済」三月二四日号「驚異のイスラム」より)。それが世界の人口の五分の一もいるんだから、超高層ビルのひとつやふたつ、ぶち壊したくなる奴もいるだろう、と月曜の朝、「ヤングマガジン」連載の村田ひろゆき「好色哀歌元バレーボーイズ」やらを読みながら思った。(ほ)

●2007年5月号

日曜日、東京ドームシティのカフェで、永井荷風『日和下駄』(講談社文芸文庫)を読んでいたら、こんな文章があった。

小石川柳町には一方に本郷より下る坂あり、一方には小石川より下りる坂があって、互に対峙している。こういう処は地勢が切迫して坂と坂との差向いが急激に接近していれば、景色はいよいよ面白く、市中に偶然温泉場の街が出来たのかと思わせるような処さえある。

『日和下駄』(元本は一九一五年出版)は、アメリカとフランスなどを外遊して帰国した荷風が、江戸切絵図を持って東京をくまなく歩き、滅び行く江戸を哀切をもって描いた東京散策の聖典ともいわれる書。引用の文は、たぶん伝通院から続く善光寺坂を下ったあたり、大江戸線・春日駅から今自分がいるドームシティあたりの情景を描いたものだろう。江戸から東京へと大変貌を遂げていく様子を、荷風はあきれ嘆き尽くす。
その後、関東大震災があり、太平洋戦争があり、高度成長期があり、バブルとその崩壊があり……、今は丸ノ内線、三田線、南北線、大江戸線という地下鉄が四本も交差し、高層マンションが建ち並び、東京ドームシティにはドーム球場、後楽園ホール、遊園地、場外馬券売り場、複合商業施設が密集して、天然温泉ラクーアがある。おそらく、荷風がこの情景を見たら、憤死してしまうのではないだろうか。彼が温泉街の幻を見たのは大正時代初期。九十年以上も経って、温泉だけは現実のものとなってしまった。(ほ)

●2007年6月号

荻原浩「千年樹」を読んで、本郷の大楠を思い出した。ビッグエッグを斜めに見て後楽園ラクーアを抜けて白山通りを横断すると、壱岐坂。登り切って左に行くと真砂図書館で、右に曲がるとその先に、その大楠が見えてくる。樹齢六百年をこえる明治時代の『老樹年鑑』で「横綱」に格付けされた巨木で、「となりのトトロ」に出てきてもおかしくないくらいの圧倒的な存在感を放っている。司馬遼太郎「本郷界隈 街道をゆく37」に、この楠の記述があって、「甲斐庄氏の先祖がここに屋敷地をもらった江戸初期にはすでに樹齢二百年以上だったろうから、この木は家康の江戸入りから幕府瓦解までをたっぷりながめてきたことになる」とある。甲斐庄氏とは、なんと楠木正成の子孫で、家康江戸入りの際に河内国から御家人としてこの地を割り当てられ住んだという。明治維新後、南朝方の逆賊だった楠木正成の名誉が回復されたせいか、甲斐庄氏は姓を楠に変えた。時は移り、屋敷は別の人の所有に移って、今はフランス料理のレストラン・ベジーブルと、三菱地所の高級マンションが建っている。その前に大楠はその葉をキラキラと輝かせている。(ほ)

●2007年7月号

幻冬舎アウトロー文庫は名著が多い。その中の一冊、浅田次郎『初等ヤクザの犯罪学教室』に「いわゆる専門的教養は年齢とともに積まれていく。しかし、侠気と情熱とは年とともに摩耗していく」と書いてあった。著者は、「友を選ばば書を読みて、六分の侠気四分の熱」だといい、相棒選びの基準は「勤勉・侠気・情熱」なのだという。しかし、勤勉さ以外の、侠気と情熱は年齢とともになくなってくる。それが「ヤキがまわる」ということだ、と。もともと侠気と情熱の本質は、「命を惜しまぬ」ということであり、そうでなければ大業をなすことはできないのだ、という。なるほど、これこそ、もっとも大事なことではないか。
一方の「勤勉」は、「いわゆる専門的教養は年齢とともに積まれていく」ということなのだが、これもまたそうそう簡単なものではないだろう。数年前、テレビ東京でやっていた「愛の貧乏救出大作戦」という番組を思い出す。この番組は、何十年もやっているがさっぱり流行らず、借金は膨らみ、つぶれるのは時間の問題という飲食店の店主を、一流の名店に短期弟子入りさせ、技術を学ばせて、再起をさせるという企画だった。同じ業種で年若の名店のシェフや板前に、貧乏店主が頭を下げて学ぶわけだが、いつも唖然とさせられたのは、この両者の「年齢とともに積まれていった専門的教養」の厚みの、あまりな違いだ。貧乏店主は、いくらたとえ優しそうな人柄であっても、事情があるのかもとも思いつつ、「ああ、この人は何十年も日々の工夫や修練を怠ってきたのだ」ということが、テレビの画面から伝わってくるのだった。勤勉で、侠気があり、情熱を絶やさず、ヤキがまわっていないか。胸に手をあてて、自分に問うてみる。(ほ)

●2007年8月号

小誌に連載されていた松井今朝子さんの「吉原手引草」が、第一三七回直木賞を受賞しました。小社としても直木賞受賞ははじめてのことなので、とてもうれしい。これからもできるならば、他の賞も含めて、次々と受賞できるように、精一杯お手伝いしていきたい、とあらためて決意をかたくしました!(ほ)

●2007年9月号

今年四月に急逝した偉大なロック史家である黒沢進氏(一九五四年生)が、CD「一九七一年全日本フォークジャンボリー・オリジナル実況盤」の解説で、こんなことを書いていた。
「例えば音楽の世界を見てみても、はっぴいえんどの諸氏のように、いわゆる団塊の世代に属する当時大学生だった連中は〝永遠の大学生〟のような印象をうける。坂本龍一、鈴木慶一、山下達郎(村上龍もそうだが)といった高校生だった連中は、〝永遠の高校生〟に見えるし、中学生だった桑田佳祐や佐野元春は、中学生がそのまま大人になったようなイメージがする」と。下の世代の戸川純はずっとランドセルをしょっているような気がして、また上の世代、椎名誠や沢野ひとしは「永遠の若手サラリーマン」のような感じがする、と。
それは「一九六九年一月、学園紛争最盛時に何歳であったかということが、意識するしないにかかわらず、世代区分のうえで有効なメルクマールとなる」からだと言う。なるほど、この感覚はとてもわかるような気がして、不思議だと思う。
ならば、椎名林檎(一九七八年生)はどうなんだろう。宇多田ヒカル(一九八二年生)は? 自分がまるで未曾有の未来にたどり着いてしまったような感覚にとらわれて、CDに収められているはっぴいえんどの「かくれんぼ」を聴く。(ほ)

●2007年10月号

前号の続き。CD「一九七一年全日本フォークジャンボリー・オリジナル実況盤」を聴いていて、中学生の頃、はじめてあがた森魚「赤色エレジー」を聴いたときの衝撃を思い出した。文語調で同名漫画(「ガロ」連載)の世界を絶唱する異様な風体。その時から時代毎に鮮やかに変遷していくあがた森魚を地味に追いかけているが、この曲のクレジットは「あがた森魚とはちみつぱい」となっている。はちみつぱい(ビートルズ「ハニーパイ」からの命名)とは、もちろん鈴木慶一を中心とするあがたのバックバンド。それが後にムーンライダーズになった。とすると……、と調べてみると、やっぱりそうだった。
ムーンライダーズというネーミングそのものが、足穂の代表作「一千一秒物語」の一節からとられたものだった。あがた森魚の世界は、どの時代にも等しく背後に稲垣足穂の世界を感じさせるが、ムーンライダーズもまたそれを継承しているといえるのではないか。
キャメロン・クロウが監督した自伝的映画「あの頃ペニー・レインと」のアウトテイク(DVD所収)で、主人公の少年がロックの素晴らしさを大学教授の母親にわかってもらいたいため、ヘッドホンでレッド・ツェッペリン「天国への階段」を聴かせるシーンがある。聴き終わった後、少年は「ね、『指輪物語』の世界と同じでしょ」と母親に同意を求めるのだった。イエス(若い頃のジョン・アンダーソンの風貌はホビット族そのものだし、他のメンバーはエルフ族のようでもある)などもそうだが、ブリティッシュ・ロックのある流れを、トールキンがどこか深い部分で保証しているよう思えてならない。
それと同じように、日本のポピュラー音楽に大きな影響を与えているムーンライダーズの大本に稲垣足穂があると考えると、とても楽しい。(ほ)

●2007年11月号

秋田県藤里町の連続児童殺人事件容疑者である畠山鈴香が、橋の上から我が子である彩香ちゃんを突き落とし、彩香ちゃんは「お母さん!」と言いながら落ちていった。現実に見てもいないのに、その落ちていく情景がスローモーションで何度も頭の中に思い浮かぶ。
Googleで検索すると、弁護側冒頭陳述書や鈴香の高校卒業文集やら、鈴香がいかに親から虐待を受け、友人達からいじめられていたのかとか、パチンコと病的な夜遊びの挙句、数百万円の借金を抱えて自己破産したとか、膨大な情報が出てくる。
YouTubeで検索すれば、数々のニュース映像も保存されている。鈴香に殺された豪憲君と彩香ちゃんが仲良く一緒にシャボン玉遊びをしている様子があった。あきらかに風呂に入らされていないような彩香ちゃんの薄汚れてみえる顔があまりにせつなく、泣けてくる。子は親を選べないし、親は子を選べない。亀田三兄弟も若乃花・貴乃花兄弟も、私もすべての人も。(ほ)

●2007年12月号

仕事でロサンゼルスへ行った。ロサンゼルスはもともと雨がほとんど降らない荒れ地で、コロラド川から水を引いたことにより、人が住めるようになり、石油と金があったから、大都市になった。街路樹も市が放水をやめると、たちまち砂漠同然の土地に戻ってしまうと現地の人が言っていた。
そして、ここはラテン・ヒスパニック系、アフリカ系、アジア系(中国系、日系、韓国系、ベトナム系など)など様々な人種がコミュニティを作っているが、お互いが対立し合い、ロス暴動などの軋轢を繰り返している。LAの象徴でもある高層ビル群のあるダウンタウンも、夜は危険で普通の人は出歩かない。
そんな風土を歩き回っていると、ここは宇宙の植民地と変わらないのではないか、と思う。「スターウォーズ」や「スタートレック」がここで作られたのは、先にこういう環境があったからではないのか。スピルバーグもルーカスもロッデンベリーもLAの大学を出ているし、ロッデンベリーにいたってはロサンゼルス市の警官だったわけだし。
しかし、それならもともとアメリカは新大陸として、ヨーロッパ各国の植民地だったわけで、ハリウッド製SF映画における宇宙の植民地というのは、ロサンゼルスだけでなくアメリカそのものの暗喩なのではないか。
帰国後、そんな妄想をたくましくしていると、雑誌『GOETHE』の付録「GOETHE WOMAN」に「ライスの恋」が載っていた。ヒラリー・クリントンと並び称される才色兼備の米国務長官のコンドリーザ・ライスの恋だから面白くないわけがない。読みながら、まさに彼女が「スタートレック」の登場人物そのものに思えてきた。ブッシュがウィリアム・シャトナー演じるカーク船長なら、ライスはウフーラ中尉か。いや、もっと偉い階級だろう、なら誰だろうか、と考えたり。(ほ)

●2008年1月号


毎回、「そうだったのか!」と啓蒙される中条省平さんの本誌連載「マンガだけでも、いいかもしれない。」だが、そこで「戦後ストーリーマンガの最高水準がここに達成されている」と評された浦沢直樹「20世紀少年」(全24巻)を読む。大阪万博、昭和40年代の子供の遊び、漫画・アニメへの憧れをベースに、仲間に入れてもらえなかった子供のルサンチマンが、世界の破滅を引き起こすという壮大なスケールの物語。
映画「マトリックス」には、「攻殻機動隊」から「ふしぎなメルモ」まで日本のオタク文化から30カ所以上もの引用があるらしいが、それ以上にこの長編には、昭和サブカルチャーの膨大な引用が埋め込まれている。物語の骨格をなす〈友情・努力・勝利〉という「少年ジャンプ」的定型でさえも、〝引用〟に感じてしまうほどである。
主人公、遠藤ケンヂは遠藤賢司だろうし、T・レックスの「20th Century Boy」とともにケンジの歌うオリジナル歌は、遠藤賢司の超名曲「カレーライス」や植木等「スーダラ節」が混じったものだろう。「カレーライス」は、三島由紀夫の自決のニュースが流れる茶の間で、彼女がカレーライスを作っている、ぼくはギターを弾いている、猫がじゃれてくる、カレーの良い匂いが流れてくる……、というなんでもない日常に宇宙の秘密を読み取る歌。「スーダラ節」は、大槻ケンヂや松浦亜弥も歌っているが、やっぱり星野源(SAKEROCK)バージョンが、今は心に染みる……などなど、連想が止まらない。
中条さんがいわれるこの長編の脆弱な思想性も、「〈悪〉の耐えがたい底の浅さ」もしっかりと了解できるのだが、そのことを考える以前に、昭和40年代に子供だった自分が感じたことへのノスタルジアに幻惑されてしまうばかりなのだった。(ほ)

●2008年2月号

大晦日に自宅のプリンターが故障した。どうしてもプリントアウトして読まなければならない原稿があり、池袋の家電量販店に行ったが、凄い人だかりで、説明を聞こうにも店員がつかまらない。あきらめて帰宅。amazonを見たら、目的のプリンターの値段がその量販店よりも安かったので(量販店はポイントがつくが、その分を入れると量販店の方が安い)、注文。なんと元日の午後に届いて、夕方にはもうそのプリンターはフル回転していた。
一月十一日に小田光雄『出版業界の危機と社会構造』を読んでいたら、横田増生『アマゾン・ドット・コムの光と影』が紹介されていた。この本は著者がamazonの物流センターに潜入アルバイトした体験をまとめたもので、その現場が「桐野夏生『OUT』におけるコンビニ弁当工場」のようだと評しているので、読んでいた真夜中にamazonに注文した。なんと翌十二日の昼前に届いた。
どうしてこのようなことが可能になるのかということは、この『アマゾン・ドット・コムの光と影』を読めば少しわかる。著者はamazonの物流センターを、鎌田慧『自動車絶望工場』におけるトヨタの工場にあった「希望」さえない過酷な現場だったと書いている。『出版業界の危機と社会構造』と合わせて読むと、今、出版をめぐる状況が流通を中心にして、劇的に変化していることが了解されてくる。(ほ)

●2008年3月号

正月にようやく松本人志「大日本人」を見た。やっぱり凄すぎて、内容はここでは多くを語れないが、主人公の「大日本人」は天皇のことのようにも思えた。大嘗祭を思わせるシーンさえあるわけで。
それはさておき、この物語のルーツは「トカゲのおっさん」ではないだろうか。「トカゲのおっさん」は、「ダウンタウンのごっつええ感じ」(1991~1997年・CX系で放送されたテレビ番組)で、主人公のトカゲの胴体を持つおっさんを松本が演じる連続ドラマ仕立てのコント。
忘れられない名シーンが数々あるのだが、トカゲのおっさんは、いくら人間らしいことをやっても、最後は差別されて、ひどい目にあっていた。おっさんは少年マサ(浜田)の母、光子(板尾)に恋しているのだが、いくら純愛を貫いても最後は裏切られていた。なぜならおっさんは人間ではなくトカゲだからである。しかし光子(けっこう美人に見えなくもなくて、妙に色気がある)も、ときどきおっさんに誘惑めいたことをするもんだから、坂木(光子の情夫。ほんこん)が嫉妬して、とうとうおっさんを刃物で刺してしまう。もちろん罪には問われない。トカゲだからである。
次の回。橋の下に住んでいるおっさんの元に、坂木がウイスキーを持っておためごかしに謝罪し、光子との間をとりもってくれとやってくる。橋の下に勝手に拾ってきたような家具を置いて横になっているおっさんは、煙草を吸いながら本を読んでいた。
そこまではなんとなく覚えていたが、その本とは何だったんだろう。気になって仕方ないので、DVDを借りてきて確認してみた。表4のデザインで判別できたが、それは春山茂雄『脳内革命』だった。95年に出版され、400万部を超すベストセラーとなった本である。怒ると脳からノルアドレナリンというホルモンが分泌され、老化や病気になって良いことはない。だから怒るのをやめてプラス思考するとエンドルフィンが分泌され薬理効果でもってハッピーになるよ、という内容の、今となっては完全なトンデモ本だった。
ほんこんが「お前、本なんか読んでるのか」というと、とかげは「まあ、一応な」とか答えている。驚くべきことにこの番組は日曜の夜8時にやっていた。このエピソードは、阪神淡路大震災で尼崎がめちゃくちゃになった翌年の1996年のオンエアである。(ほ)

●2008年4月号

ルー・リードの超名盤「Transformer」の中の名曲「Perfect Day」のサビは、「You’re going to reap just what you sow」で、アナログ盤もCDも訳詞では、「みたものはすべて自分のものにしたがる君」とあって、「ドラッグやらでのドロドロの地獄の日々はこれからも続くだろう。だけど今日だけは、この上なく幸せで完璧な一日が過ごせた。君のおかげで」みたいな歌詞なのだが、この最後のフレーズがどうも気になっていた。これでは陳腐なラブソングではないか、と思っていたら、年を経て出た「Trainspotting」のサントラでの同曲の訳詞は、このフレーズを「人生は因果応報っていうじゃないか」と訳詞してあって、そうか、そうだったのか、と十数年来のなぞが解けたように思ったものだった。さすが帰国子女世代の翻訳は違う。後に、山形浩生さんから、このフレーズ自体が、聖書にも入っているような有名な成句だということを聞き、さらに納得した。
小誌に連載していた松井雪子さんの傑作長編小説「まよいもん」の推薦文を、幸運なことに鈴村和成さんにいただいた。それでアルチュール・ランボーの高名な研究者である鈴村さんの本を読んでいたら、また十数年来のなぞが解けてしまった。詳細は省略するが、パティ・スミスの超名盤「Easter」の中の名曲「Easter」の中で何度も呼ばれる名前「イザベラ」は、ランボーの妹のことだったのだ。アナログ盤やCDの訳詞では、パティに同定される女性が、別の女性イザベラに語りかける設定になっているが、たぶんそれは間違いで、これは瀕死のランボーがいまわの際に妹に語りかけている歌だったのだ。つまり歌詞の中の「I」は、女ではなく男の一人称として訳すべきなのである。そうか、そうだったのか。(ほ)

●2008年5月号

最近届いた読者ハガキに、「私は続書が好きです。好きな本をよむ。おちついてしずかによむ。なんとなくスッキリします」と書いてあった。奈良県の小学4年生の女の子からで、「好きな作家、本」は「青い鳥文庫のパスワードシリーズ」と書いてあった。「続」という誤字がほほえましく、心の底からなにかあたたかいものが湧いてくる感じがした。
本誌の校了をしていて、いちばん落ち着いて読める連載といえば、なんといっても澤田ふじ子さんの「公事宿事件書留帳」シリーズだ。1990年から書き継がれて、なんと今号「奇妙な僧形」で101回を数えた。この物語を読むとき、ひととき頭は、江戸時代の京都にタイムスリップし、公事宿(今でいう弁護士事務所)で活躍する田村菊太郎に感情移入する。居候の身分ながら、義弟を助け、知恵も腕も立ついい男。NHKで「はんなり菊太郎」としてドラマ化されたときは、内藤剛志が好演していた。
読んでいると、「おちついてしずかによむ。なんとなくスッキリ」する。読書の醍醐味だなぁ、と思う。(ほ)

●2008年6月号

イエス小池『漫画家アシスタント物語』(マガジン・マガジン)は、壮絶なドキュメントだ。「2、3年アシスタントでもやって、それからデビューして漫画家に…」と思って、「来年こそは…」「来年こそは…」で、あっという間に52歳。ベタ塗り、トーン貼り、ホワイト修正で、アシスタント生活34年目となっていた。
このジョージ秋山氏の現役アシスタントが文章としてまとめた自分の「まんが道」を読んで、芸術とものづくりを志す人であれば、誰もがこの作者の34年を、膝を正し胸をドキドキさせながら読まざるを得ないだろう。
巻末にある20年前に作者が描いたマンガ「雨のドモ五郎」(第16回「ヤングジャンプ」青年漫画大賞・準入選作)のラストにある、マンガを愛するが故に狂気に陥った編集者と自分の作品を信じる漫画家との、涙の抱擁に心を動かされない人はいないだろう(そこには紛れもない師匠の影響が見て取れる)。
作者が表現したい世界と、それを受け入れてくれる読者の数がどれくらいいるのかという実情との相克。常に勝ち続けなければ次がない闘い。
生活するためにお金を稼がなければならないという現実と、残酷な加齢。創作を続けるということが純粋に表現されている傑作だと思った。(ほ)

●2008年7月号

2008年3月28日未明、文京区の製本業の社長(42)が家族6人を殺傷した。大口取引先の廃業や移転が目前に迫り将来を悲観しての無理心中だった。ここは徳永直『太陽のない街』の舞台となった場所である。私の家のすぐ近くで、播磨坂の桜がちょうど満開になった日だった。
その場所から千川通りを上って、東京ドームの脇を抜け、壱岐坂を上り、本郷通りをまっすぐ行くと、秋葉原の中央通りに出る。その間は約3キロ。自転車だとすぐだ。2008年6月8日午後0時35分頃、その場所で、静岡県裾野市の自動車工場で働く派遣社員(25)がトラックで5人をはねた後、12人を次々とナイフで襲って殺傷した。男が勤めていたのは鎌田慧『自動車絶望工場』で描かれた同じメーカーの系列工場である。古谷実の新連載「ヒメアノ~ル」が、たんたんと「ヤングマガジン」で始まった週の出来事だ。
これらの事件を“プロレタリア文学的”だとは、けっしていうまい。しかし、なにか社会と我々の心に大きな変化が起こっているのは、間違いないように思うのだった。(ほ)

●2008年8月号

会社の近くに鳩森神社という杜がある。鎌倉街道沿いにある由緒ある八幡神社で、富士塚や能楽堂もあり、枝垂れ桜や柳、松などが端整に植わっていて、幼稚園も併設しているから子供達の歓声もときどき聞こえる。とてもいい気が満ちていて、なごめる場所である。
ここは平岩弓枝さんの実家でもあった。宮司だったお祖父さんが早世され、まだ14歳だったお父さんは鳩森神社を嗣がず、伯母さんが嗣がれた。後にお父さんは鳩森神社から代々木八幡神社へ養子に行かれて、そこで平岩さんが生まれる。鳩森神社は東京大空襲で神社が焼失するが、神社を守っていた伯母さんは、炎につつまれた本殿で、大祓の祝詞を朗々とあげながら娘とともに逝った。半自伝『極楽とんぼの飛んだ道』にはそのように書いてある。
ここでそんな壮絶なことがあったのか、と思う。東京大空襲とは、アメリカ軍の爆撃によって、死亡・行方不明者が10万人以上、東京の3分の1以上が灰燼に帰した文字通りのジェノサイドである。1945年の春。わずか63年前のことだ。桜の花は咲いていただろうか。
ここは、村上春樹さんが経営し「風の歌を聴け」を執筆したことで有名なジャズ喫茶「ピーターキャット」があった場所のすぐ近くでもある。実際、いまだに鳩森神社の盆踊り大会には「ピーターキャット」の提灯が飾られている。
ふと、風の歌の「風」は、東京大空襲の爆風の「風」なのではないか、と思う。(ほ)

●2008年9月号

5月26日、日本プロ野球組織(NPB)は、巨人のゴンザレス内野手(28)を、禁止薬物のアンフェタミンなどを使用したとして、1年間の公式戦出場停止処分とすることを発表。巨人はゴンザレスを解雇する方針を固めた。
5月26日、米MLBの元投手で昨季は巨人に所属していたベネズエラ出身のゴンザレス氏が、落雷を受けて死亡した。落雷を受けた際のゴンザレス氏の行動についてははっきりしていないものの、同氏は実家のあるベネズエラ西部のマラカイボ湖で水上バイクを楽しんでいた。
2人は別人で、同じ元・巨人のゴンザレスなのだった。こんなことがあるんだな、と思っていたら、同日のヤフーニュースで、こんなのもあった。

5月27日午後0時35分ごろ、千葉県鋸南町の鋸山(329メートル)山頂にある鋸山ロープウエーの山頂駅付近の岩場から、50~60代の男性ががけ下に転落。男性は岩場から約10メートル下の木に体がひっかかり、ぶら下がった状態になった。富津市消防本部のレスキュー隊員らが岩場から下ろしたロープを頼りに斜面を伝い、約1時間半後に救助、男性は九死に一生を得た。

この日、会社では自殺した女子アナウンサーの様々な情報がとびかっていて、自分自身もいろいろとトラブルをかかえていた。まぁ、いろいろなことがある。(ほ)

●2008年10月号

小誌でエッセイを連載している会田誠さんの個展、 「ワイはミヅマの岩鬼じゃーい!!」を見に行く。岩鬼はもちろん「ドカベン」の岩鬼正美。あのいつも葉っぱをくわえている三塁手。
作品は、例えばこんな感じ。毛筆のきらびやかで贅沢な和紙に連綿と綴られる変体仮名、これは源氏物語かはたまた法華経の写本かと思いきや、よくよく判読してみると2chでのカキコミ。どうやらアート板らしく、卑猥だったり汚い言葉が書き連ねてある。まさにこれが現代のテキストといっているような。
また古代遺跡から発掘されたような木彫り作品は、よく見るとサッカーをしているところで、タイトルは「ドーハの悲劇」。たしかにメディアで幾度となく繰り返し繰り返し流される現代の神話。岩波文庫の「判断力批判」全頁に絵を描いたものが、圧倒的に壁を被う。なぜか会田さんが小誌エッセイで書いていた「俺たち、星の子は……」という言葉が浮かんでくる。都美術館に出展できなかったやばすぎる2作品。子供のポスターみたいなシリーズ。
階上にある会田さんプロデュースの学生の作品は、段ボールのみで作られた様々な生き物、オブジェ群。今はなき「神秘珍々ニコニコ園」のような、“現代の奇妙な神々”を想起させる。中目黒にある古いビルにある、狭いミヅマアートギャラリーになにか得体の知れない、しかし紛れもない現在を示す天才的な濃いエキスが沸騰していた。(ほ)

●2008年11月号

ロサンゼルスを舞台にした名作映画は数え切れない。あらゆる種類の映画がこの砂漠に作られた人工都市から供給されてくるといっても過言ではない。
10月10日午後10時頃(現地時間)、三浦和義元会社社長が、収容先のLA市警本部内の留置場で首つり自殺した。LA到着からわずか17時間後だった。
テレビの報道で、ある識者が彼のことを「演技性人格障害ではないか」と言っていた。岡田尊司『パーソナリティ障害』(PHP新書)に詳しいが、要するに日常生活において役者の演技のような行動をし、自分が注目の的とならなければ気が済まない、気が済まないどころか破壊的な行動を取ったりする精神疾患のようだ。
であるなら、1981年のLAにおける銃撃事件からはじまり、悲劇の夫→疑惑の夫→無期懲役→逆転無罪→万引き逮捕→サイパン逮捕→LAで自殺、というのは、まるまる自作自演の映画のようなものだったともいえるのではないか。
自らも足を銃撃され、「100回も200回も○○(殺された夫人の名前)を呼んだんですよ」と興奮しながら病院のベッドで話す彼の姿、平塚市にある自宅近くのコンビニで万引きする姿(現在はYouTubeで見られる)などの映像を、我々はテレビのニュースで「ドーハの悲劇」と同じくらい見ている。三浦和義自作自演の映画を、いやおうなしに見せつけられた。それこそ、彼の思うつぼだったのだろう。
普通に考えれば、27年もの間、想像を絶するプレッシャーをはねのけてきたはずなのに、LAに行って、わずか17時間で耐えきれなくなってあえなく最期となるのは、おかしい気がする。まさに自らプロデュースした壮大な映画の最後の山場を作ったのだとも思えてくる。
ロサンゼルス。きっと観客が度肝をぬくようなことが起こっているに違いない。例えば、デビッド・リンチが描くところの、死んでいるはずの人が出てきて、夢と現実が交錯するような想像もつかない恐ろしい出来事とか……。そんな妄想に耽ってしまう。(ほ)

●2008年12月号

大人になっても、まだ親との関係で問題を抱えている人が多い。ある精神科医が、体感ながらとことわりながら、うつ病の女性のほとんどは、母親と関係がうまくいっていないと言っていた。
そういう話を聞くと、岡本太郎とその母、岡本かの子のことを思い出す。一心不乱に執筆に熱中するかの子は、幼児の太郎が動きまわって邪魔すると兵児帯で胴を縛り、柱にゆわえつけて、いくら泣いても騒いでも知らん顔をしていたという。そんな母を回顧して太郎は、「束ねもせずさっと垂らした黒髪が、言いようのない威厳と、懐かしさと、憧れで迫った。怨めしいが、私はそういう母を愛した」と書いている(岡本太郎『一平 かの子 心に生きる凄い父母』チクマ秀版社刊)。
また中学生の太郎が3日程寝込んだ時、一度も顔を見せなかった母親を責めると、「『だって、病気してる太郎なんて、きたなくって嫌だから』と、あっさりいった。私は並はずれた、いかにも母らしい愛情の表現に、苦笑すると同時にひどく嬉しかった」と書いている(岡本太郎『人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている』イースト・プレス刊)。
このように見た目も中身も怪物的な母親に対し、太郎はあちらこちらで母への強い憧れと尊敬と愛情を美しい文章として残している。
桂雀々さんの自伝『必死のパッチ』(小社刊)は、12歳で母親が蒸発し、父親から無理心中を迫られ、市営住宅に一人残された少年時代の格闘をつづった壮絶すぎる感動の物語である。11月に行われた出版記念パーティでは、その雀々さんを捨てたお母さんも来場されていた。ラストに雀々さんは「お母さん、生んでくれて、ありがとう。育ててくれなくて、ありがとう」と言って泣いていた。担当編集者も、会場にいるすでに本を読んでいた人もすべて、もらい泣きしていた。(ほ)

●2009年1月号


12月、大阪府で行方不明になっている女性の家族に、4年間にわたって救出話をもちかけ、総額7000万円を詐取した男女が逮捕された。彼らがその巨額の金を何に使ったかというと、高級ホテルに滞在してギャンブル三昧というものだった。
服装はブランド品、移動はすべてタクシー、昼間はパチンコに熱中。その他、競馬や競艇も。さらにお金を稼ごうと貸金業を経営し、主に生活保護受給者やタクシー運転手を顧客として法外な利息をとった。顧客を馬鹿にすると評判が悪くて客はほとんど来なかったとか。逮捕の3日前には知人に「5000円でいいから貸してくれ」と懇願していたらしい。
あまりにも頭が弱く、あまりにも貧しすぎると、愕然としてしまうが、はたして人は、お金をたくさん持てたとして、こんなことしか出来ないのだろうか。
NYの超高級ホテルのラウンジにいる大金持ちたちは、日がな一日延々と株価の話しかしていなかった、というエピソードを町山智浩氏がエッセイに書いていたが、この日本の詐欺カップルの心性とどこか通じるものを感じてしまう。もちろんリーマン・ショック以前の話。
真鍋昌平『闇金ウシジマくん』13巻では、一泊80万のスイートに陣取った富裕層が登場し、「ノブレスオブリージュ」としての義務と称して、出会いカフェ(「性病や妊娠のリスクも考えず、1万5000円で身体を売っている売春婦のたまり場」)で稼いでいる貧困層の若い女性に、ある賭けを提案する。それは「妊娠したからお金がいる」というメールを友人に送り、2時間で20万円集めることが出来るかというもの。出来たら1000万円をその富裕層が女性に払うというのだが……。
金持ちになったら、そんな賭けをしたくなるのだろうか。なってみないとわからないとは思うが、そんなもの、どう考えても面白くなさそうだということは、普通にわかる。(ほ)

●2009年2月号

「マンマ・ミーア!」(Mamma Mia!)といえば、ABBAのヒット曲で構成されているミュージカルであり、それを元にしたメリル・ストリープ主演の映画のタイトルだが、不勉強で「マンマ・ミーア!」という言葉の意味を知らなかった。
調べてみると、直訳で「私の母」で、意味としては「あぁ!なんてこったい!」というイタリア語だとか。英語での「Oh my god!」に近いらしい。
ミュージカルと映画は、物語からして「お母さん!なんてことですか!」みたいな意味なんだろうと思うが、そう言えばと、手元にあったDVDでジム・ジャームッシュ「ナイト・オン・ザ・プラネット」を見てみた。真夜中、タクシーを運転するロベルト・ベニーニが不運を嘆きつつ「マンマ・ミーア、マンマ・ミーア」と何度も言っているのだった。これは単に「ついてないなぁ」という意味だろう。ベニーニの言葉には強烈な表情があり、一度聞いてしまうと頭の奥深くに刻み込まれてしまうが、それに誘発されて、そう言えばあれもそうじゃないかと、クィーン「ボヘミアン・ラプソディ」をCDで聴いてみる。後半、オペラ的な展開になる部分で、「オ、ママ、ミア、ママ、ミア~」とフレディ・マーキュリーが歌っている。同じ言葉だったのか。こちらは殺人を犯してしまった息子が母親に「助けて、ママ!」と叫ぶ時の言葉。「私の母」という短い言葉なのに、いろいろと使われていたんだなぁ、と思いました。(ほ)

●2009年3月号

小田嶋隆氏がコラム(「日経ビジネスオンライン」連載)で、谷“ミスター渡り”公士・人事院総裁を、「デビッド・ボウイ&先代円生の中間くらいな風貌、イカすぜ!!」と書いていた。そして、ボウイのグラム時代の曲「ジーン・ジニー(The Jean Genie)」のサビの部分、「ジーン・ジニー」が「人事院」としか聞こえないと書いている。あらためて聞いてみると、たしかにそうとしか聞こえない。コラムの文章は、実際の「ジーン・ジニー」の歌詞が、人事院の奇怪さをまさしく表現していると、自ら翻訳を示して、さらに小田嶋節が炸裂していく。
それで想起されるのは、昨今のテレビ番組における引用的BGMの素晴らしさ。「タモリ倶楽部」(テレビ朝日)や「出没!アド街ック天国」(テレビ東京)などハウフルズ制作の番組が有名だが、「サンデージャポン」(TBS)も特筆すべき充実ぶりだ。思い出すまま書いてみると、逮捕前のホリエモンが出てくるときは必ず「バビル2世」のテーマ(六本木ヒルズがバビルの塔だから)、IKKOが出てくると必ずカルチャー・クラブ「カーマは気まぐれ」、星野監督アメリカ戦敗退のインタビューの時に映画「硫黄島からの手紙」のテーマ、「鶴川サナトリウム病院の院内感染」でメタリカ「Welcome Home(Sanitarium)」とか。
もっとも印象深いのは、ゴミ屋敷とそこに住む人が映るとき、必ずキングクリムゾン「21世紀のスキッツォイド・マン」(昔は「21世紀の精神異常者」というタイトルだった)がかかることだ。きまってあの赤い悪夢のようなジャケットとともに、「ああ、予言はこのようにして成就するのか」という思いが頭に浮かぶ。
来月号からいよいよ満を持しての恩田陸さんの連載「蜜蜂と遠雷」が始まります。どうぞお楽しみに!!(ほ)

●2009年4月号

2月に国立科学博物館でやっていた「1970年大阪万博の軌跡展」へ行った。6400万人を集めた日本史上空前絶後のお祭り、大阪万博・EXPO’70。それが表現していたものとは、人間が世界をくまなく旅行することができるようになり、人類の歴史をあらためて誕生からその終末までをすべて俯瞰することができる時代が来たということだと、あらためて確認した。そのイメージの中核に、「お祭り広場」と「太陽の塔」があるのだった。
展示物の中に有名なサンヨーの人間洗濯機の現物があった。正式名称は「ウルトラソニックバス」。隣に現在のサンヨー製・高齢者障害者用の最新式入浴装置と洗濯機が参考展示されており、EXPO’70のほぼ40年先の未来に人間洗濯機が実用化されたことがわかる。
当時の「未来」の象徴は、こうした「全自動でなにもかもが自由自在にできる」ことだろう。それで思い出されてくるのは、昨年末にやっていたテレビのドキュメントで、上野の漫画喫茶で年越ししようとするネットカフェ難民の姿だった。ネットつなぎっぱなしのPCとテレビ、漫画読み放題でジュース飲み放題の一人用ソファが入っている個室が映し出されていた。携帯電話が充電されている。これはこれでひとつの達成された「未来」の情景ではないか、と思った。(ほ)

●2009年5月号

お前ら人間には信じられぬものを おれは見てきた。オリオン座の近くで燃える攻撃用宇宙船、タンホイザー・ゲート近くの暗闇に輝くオーロラ。そういう思い出もやがて消える。時が来れば……、涙のように、雨のように……。………死ぬ時が来た。

映画「ブレードランナー」のクライマックス、主人公デッカード(ハリソン・フォード)を追いつめたレプリカントのロイ・バティによる言葉。DVDからセリフを拾ってみた。
ロイは、超人間であるが短命である自らの宿命をなんとかできないかと、危険を冒して生みの親、タイレル博士に会うが、それがかなわないと知り、“父殺し”を敢行。レプリカント狩りのプロ、デッカードに恋人も殺され、絶望の淵に立たされたロイは、最後、デッカードに復讐を遂げようとする。もともと力は圧倒的にロイが上だが、なぜかロイはデッカードを殺さなかった。いまやロイの寿命が尽きようとするそのいまわの際の言葉が、冒頭の一節である。TDKのネオンを背に雨が降りしきり、ロイの胸元から白い鳩が飛んでいく。もちろんこの台詞は、原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」には登場しない。
このロイの言葉は、ヤマトタケルの最期を想起させる。父に命じられ、西国をようやく征して帰国してみれば、今度は東国を征せと言われて、再び戦の旅へ。それも成し遂げるが、やがて力つきて、死ぬ。その間際に、故郷を思って、「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 倭し美し」と、思国歌を詠み、大きな白鳥となって天に昇っていく。
ロイは、故郷らしき所へ帰っては来たが、最期に思い浮かべたのは、かつて自分が過酷な労働を強いられていた宇宙の最果ての場所だった。人(や神やレプリカント)は、死ぬとき、ある場所を思い出すのだろう。自分ははたしてどこの場所を思い出すのだろうか。
いろんなことがありすぎる会社にいながら、ふと「オリオン座の近くで燃える攻撃用宇宙船、タンホイザー・ゲート近くの暗闇に輝くオーロラ」のようなものとして会社を思い出すのではないか、と思う。しかしそれもまた、思い出もなにもかも、時が来れば、「涙のように、雨のように」消えるのだ。(ほ)

●2009年6月号

『バクマン。』とは、小社刊の爆笑問題+おおひなたごうによる『バクマン』ではなく、原作・大場つぐみ、作画・小畑健という『DEATH NOTE』コンビによる少年漫画。「週刊少年ジャンプ」に連載されており、中学生の男子2人が漫画家を志す「まんが道」だ。創作に対する燃えたぎる情熱、その「最初の炎」というものが、どういうものであったのか、ありありと思い出させる傑作漫画だと思う。その中で、原作・梶原一騎/作画・川崎のぼるの『男の条件』より以下の言葉が引用されていた。「まんが家の五大条件。男の五大条件」である。

その一。だんじて小手先の作品をえがくなかれ。おのれの血のすべてをインクにせよ!
その二。かりそめにも花の人気を追うなかれ。土をおこして根をこやすべし。
その三。いくばくかの地位を得ても未練をもつなかれ。嵐と平和あれば嵐をえらぶべし。
その四。いかなるときも負けて泣くなかれ。負けて研究し勝利を生む母とすべし。
その五。以上を守りぬいても自分のみ正しいと思いあがるなかれ。自分以外すべて師とせよ!
書き写しているだけで、心の底から熱いものが吹き上がってきます。熱くなってきます。(ほ)

●2009年7月号

石川県内で空からオタマジャクシが降ってくる珍現象が続いている。ただの誰かのいたずらかもしれないが、あのニュースを見聞きする度に、「世の中、何が起こるか、わからんな」と思う。

ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイクガイド』では、いきなり飛来した宇宙船団が、「地球は銀河ハイウェイ建設の通り道に当たり、立ち退くように告知してあったのだが、もう期限が過ぎたので工事を開始する」と通告して、一瞬で地球を消滅させてしまうが、オタマジャクシ落下事件を聞くと、なぜかこのエピソードを思い出してしまう。

株価や為替がまったく予測不可能なように、世の中の流動性が高まり、底が抜けた状態だからか、どこか何が起こってもまったく不思議ではないという雰囲気が、やみくもに高まっている気がする。

こういうときは、やはり何が起こっても「あわてるな」(Don’t Panic、パニクるな)ということだろうな。「銀河ヒッチハイクガイド」という本の表紙には、この言葉が大きく、親しみやすい文字で書いてあるらしい。
(ほ)

●2009年8月号

小社には「WEBマガジン幻冬舎」があって、2週間毎に更新されています。面白い連載がたくさんあります。
今回は、あの小谷野敦さんが推薦した『萌える日本文学』の著者、堀越英美さんの「文化系ママさんダイアリー」を抜粋してご紹介します。
1歳児の娘さんがなかなか寝てくれないので、困り果てるママ。質問攻めにすれば、寝てくれるかも、とチャレンジしています。以下、第34回「キング・オブ・寝かしつけ」の回から。

(前略)しかし1歳児に聞きたいことなんてそうはない。せいぜい、保育園であったことを聞くぐらい。もっと大局的なことを聞いてみようか。「あんた今後の人生どうするつもりなの?」「今のままでいいと思ってるの?」「10年後、20年後のビジョンはあるの?」「今はまだ本気を出してないだけなんて思ってんじゃないだろうね」「あんたが毎日大食いしてるメシだってタダじゃないってわかってる?」……これじゃニートを難詰するみのもんただ。
いっそ、深遠すぎて答えが出ない大問題を聞いてみるとか。成人の1・5倍はあるというシナプス密度を駆使して、すばらしい答えが導き出されるかもしれない。
「死後の世界とは?」
「木、いっぱいね」
「ビッグバン以前の宇宙とは?」
「2」
「人生、宇宙、すべての答えは?」
「1」
「地球上で最も頭のいい生き物は?」
「ドキンちゃん」
難問をバッサリ即答されてしまった。これでは話の広げようがなく、第一私もよくわからない話題なので、寝かしつけには不適当な設問だったと言わざるをえない。(後略)

面白いので、ぜひご一読を!!(ほ)

●2009年9月号

夏になると、保育園の子供達が一斉に合唱していた歌を思い出す。

♪♪
なつは、どうしてたのしいか、すきなもの、いってみよ~
すいか、すいか、かもめ、かもめ、めだか、めだか、かいすいよく、かいすいよく、くーも、くーも、もっくもく、もっくもく、くいしぼう、くいしんぼう、うなどん、うなどん!!
♪♪

「夏のしりとりうた」というタイトルで、二番もある。保育園や幼稚園で自然と歌い継がれている様子。誰が作ったのだろう。なんとなく自然発生したような感触がある。
子供たちがいつでも、思いっきり楽しいと感じる夏。思い出せば、その時間だけキラキラ輝いているような。井上陽水が「少年時代」で歌っているような。日本がいつまでもそんな国でありますようにと、夏の終わりに心から願う。(ほ)

●2009年10月号

米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』で、粛清の嵐吹き荒れるスターリン時代のソ連の描写がある。
収容所にいる極限状態の人々。過酷な重労働、耐え難い寒さ、蚤虱の大群に悩まされる不潔不衛生、ひからびた黒パン一枚と水っぽいスープという貧弱な食事。そんなことより「力の湧き出る根源を絶ち、からくも残った気力を無惨にそぎ落と」していったのは、ラジオ、新聞はおろか肉親との文通にいたるまで外部からの情報を完全に遮断されていたことだった。本と筆記用具の所持さえ禁じられていた。
そんな状況が、ある晩をきっかけにして「女たちに肌の艶や目の輝きが戻って」くるほど一変する。芸達者な科学者や元俳優たちが、求められたわけでもないのに一人芝居をやったのだった。みんなが息を呑んで、心の奥にしまわれている物語を引き出して味わった。以降は、毎晩、それぞれが記憶の中にあった本を思い起こし、声に出してああだこうだと補い合いながら楽しむようになった、と書いてある。
物語の力。物語とまでは言わなくても、人は「寓話なしでは生きてはいけない」。そのように、この小説の登場人物は語っている。
そのことに思いをはせると、今、自分がたっぷりと大好きな本に囲まれて、作家がその持てる力を振り絞った結晶とも言うべき物語を、自由に贅沢に読める幸せをしみじみ思う。(ほ)

●2009年11月号

地方へ出張すると、日本全国隅々までロードサイド化(&旧商店街のシャッター商店街化)が進んでいることを思い知らされる。まずパチンコ屋があり、その周辺にサラ金の無人キャッシュディスペンサーがあり、ドンキホーテがあり、よく知ったチェーン店レストランと書店とレンタルDVD屋などがあり、ショッピングセンターがある。
そういうロードサイドを描いた傑作映画「国道20号線」の監督が、取材しているK市で、若者だけでなく主婦層にも驚くほど覚醒剤が蔓延していると話していた。
『闇金ウシジマ君』、『DeepLove[REAL]』、『新宿スワン』など、覚醒剤を扱った漫画が目立ちはじめたのはのりピー事件よりも前だった。これはきっと覚醒剤がより身近なものになっているということなのだろう。
退屈でしかたがないのでパチンコをやる。たまに勝って、ドンキで買い物、牛角で焼肉。で、「元気がなければ、薬をやれば、いいじゃない」。そんな構図があるような気がしてならない。(ほ)

●2009年12月号

出版に携わる先達の、仕事にまつわる歌を編んだ『出版人の萬葉集』(日本エディタースクール)という本がある。章立てが「企画・編集会議」から始まり、「原稿依頼・督促」と続く、あまりといえばあまりに身近な構成で、時折開いては、こんな偉い人や昔の人でも同じようなことを感じていたのだなぁ、としみじみ読む。高名な歌人もまた歌集などを制作する編集者なのだった。
この歌集にも歌が収録されている相原法則さんという方の『掲載禁止』(オリオン出版)という歌集を以前に友人からもらい、愛読している。やはり長年編集者をお勤めになり、朝日歌壇賞を受賞されている歌人である。

すぎていま絶版の古書市に買うわが手にかつて編集の本

なにほどか企画に混じる賭博性編集者みなそのことを言わず

誇り高き著者に改稿の手紙汗して書きている夢

車夫馬丁なりきとの論うなずきぬ元編集者こまかく言わず

我が手にて出版受賞の作家いう「あんたにもまた書いてやろうか」

才のなき編集者には誠実と我慢が武器か 過ぎておもえば

というように心底身につまされる歌が並ぶ。
しかし、おそるべきは次のような歌だ。

愕然と誤植見落とす夢に覚め指にかぞえる編集者の日

刷直しする夢に覚め夜のほどろつねに拙き編集者なりき

何度も正夢だった身としては、他人が作った歌とは思えない。(ほ)

●2010年1月号


阪神・淡路大震災の翌年、1996年、大阪の橋の下に住んでいた「トカゲのおっさん」が、「ダウンタウンのごっつええ感じ」(日本テレビ)でオンエア。
リーマンショックの翌年、2009年、東京・荒川の橋の下に住んでいる人々のギャグ・ラブコメ・中村光「荒川アンダーザブリッジ」(スクウェア・エニックス)がヒット、10年アニメ化。
この「荒川アンダーザブリッジ」は、とにかく荒川の河川敷に住んでいる人々がことごとく魅力的なのだった。
ヒロインはニノという謎の美少女で、自称「金星人」。不思議な力を持っているような、持っていないような。
他に、村長(自称「河童」。この河川敷の村長。ポリプロピレン素材の着ぐるみを着用)、星(五角形の星の被り物を被っている。売れっ子ミュージシャンだったらしい)、シスター(屈強な二枚目大男だが修道女。イギリス国籍の元・傭兵)、シロ(常に白線を引き、その上を移動する元・一流企業の営業マン)、鉄人兄弟(鉄のマスクを常にかぶっている双子らしき兄弟)、ステラ(シスターを追ってイギリスからやってきた孤児院育ちの少女。怒ると体が「北斗の拳」化)などなど、もしかしたら「こち亀」を超えるほどの強烈なキャラクターが多数登場。
そうした「電波系」の人達の中に、ひょんなことから市ノ宮行(通称「リク」)という大財閥の御曹司(頭脳明晰、得意分野多数のある意味、勝間和代的勝者)が一緒に暮らし始めて……という物語。
荒川の河川敷で、「金星人」や「河童」や「星」ら「電波系」(もちろんSFとして読めば「電波系」ではないかもしれないのだが)の人達が、なにやら楽しすぎるコミュニティを作っている。それがいかにも、ゼロ年代の終わりにふさわしく思えてならない。(ほ)

●2010年2月号

英BBCが昨年12月公表した資料で、同国の伝説的なロックバンド、レッド・ツェッペリンが、バンド結成1年後の1969年に初めてBBCラジオのオーディションを受けた時、プロデューサーの1人は「昼間の放送には向かず、専門家が聴くだけのもの」、もう1人のプロデューサーは「オリジナル性がなく決定力に欠ける」と評し、さらに「時代遅れのサウンド」とも酷評した。またデビッド・ボウイは65年にオーディションを受けたが「個性がない歌手」と言われ、T・レックスも「うぬぼれ屋のくず」と散々な評価だった(2009年12月18日・時事通信配信ニュースより)。
レッド・ツェッペリン(アルバム売り上げは3億枚以上)、デビッド・ボウイもT・レックスもロック史上にさん然と輝く最も重要な人達。その彼等にして、当初はこのような言われ方をされていたとは……。どんなにひどく腐されても、これが私の信じる道と、がんばるしかないと思うのでした。(ほ)

●2010年3月号

東アジアの仏教世界で歴史的にもっとも流行したマントラは「南無阿弥陀仏」。それと「南無観世音菩薩」。現在でも、中国の寺院を訪ねると、仏教信者の多くは仏像に向かって「南無阿弥陀仏」と称えている。それに対して「南無妙法蓮華経」という唱題は、日蓮が発明したものであり、過去の歴史においては日本でのみ見られたものである。と、菅野博史『法華経入門』(岩波新書)に書いてある。

「南無阿弥陀仏」と「南無観世音菩薩」はそれぞれ阿弥陀仏と観世音菩薩という仏のイメージを讃えるマントラだが、「南無妙法蓮華経」は法華経というお経を讃えるマントラ。お経は本。つまり「南無妙法蓮華経」は「法華経という本に帰依します!」「法華経という本、凄すぎ!」「法華経という本、萌え〜」という意味なのだった。そして、その本の内容といえば、麗しき釈尊の眉間からビームが宇宙まで飛び出し、話を聞きに来た聴衆がびっくりしていると、今度は巨大な宝塔が大地から湧出し、空中にとどまって妙なる音楽とともに声が聞こえてきて……という「度肝を抜くドラマがめくるめくように展開する」(『法華経入門』)大スペースオペラなのだった。法華経の熱烈な信者であった宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に大きく影響を与えたというのも頷ける。

そんな物語でもある法華経=本を、日本人は長い歴史の中で「好き好き大好き」と言い続けてきた。うれしいことだ。電子書籍専用端末の「キンドル」のユーザーが数百万人にのぼるというニュースを読みながらそんなことを思った。(ほ)

●2010年4月号

人は臨終の際にもツイッターでつぶやくのだろうか。「爆笑問題の日本史原論・太閤記編」(タイタンオンライン連載)でおおひなたごうさんが、豊臣秀吉がツイッターをやっていて、「刀狩りなう」とツイートしているイラストを描いていた。最期、秀吉は「……なにわのことも夢のまた夢」と辞世の句を入力するだろう。「もうすぐ死ぬなう」とか、もう死んでいるのに「焼き場なう」とか、お骨になっても「天国なう」とか、そんなつぶやきがあるかもしれない。(ほ)

●2010年5月号

ツイッターのタイムライン(投稿を時系列に並べて表示される画面。最新の投稿が一番上に表示され、古い投稿は下に流れていく)を読んでいると、これはダダイズムに起源があるという、バロウズで有名なカットアップ(テキストをランダムに切り刻んで新しいテキストに作り直す偶然性の文学技法)の自動生成ではないかと思う。そのツイッターのブームがとどまるところをしらない。
またライブやシンポジウムや個人の仕事風景や仲間内の飲み会などの実況映像をPCのカメラからリアルタイムに流してコメントがやりとりできるユーストリームを見ていると、現代美術家のナム・ジュン・パイクがやっていた「グッドモーニング・ミスター・オーウェル」(1984年)みたいなことが、いともやすやすと、たいしたお金もいらずに、例えば漫画喫茶からでもできているのだということがわかる。
そういうことよりも、面白いことを「本」で考え続けなければいけない。(ほ)

●2010年6月号

例えば8万円。それくらいの現金を国民全員に無条件で一律に支給するというベーシック・インカムが話題に上ることが多くなってきた。ホリエモンは「実は、多くの人はもう働かなくてもよくなった状態にあるのかもしれない」、なぜなら社会総体ではすべての人に給付できるだけの富はすでに実現されているからと言う(「朝日新聞」5月8日)。山森亮『ベーシック・インカム入門』(光文社新書)を読むと、ベーシック・インカムが社会保障の概念として約200年の歴史を持ち、ただの夢物語だと切り捨てられるものではないということが了解される。
世界の金融市場は、ギリシアの財政赤字(GDPの10%超)で大きく動揺しているが、日本はどうかというと、2010年度の国債発行額はGDPの約9%で、詳細は省くが「日本の財政問題は、ギリシアよりはるかに深刻」「いつかは破綻する」(野口悠紀雄「週刊ダイヤモンド」5月22日号)という。
ユニクロの柳井正氏は「国にお金がないのに、国民に分配ばかりしていると、将来、日本は潰れる可能性があります。国民も国からお金をもらうことばかり考えているようでは、おしまいです」と言っていた(「週刊現代」1月30日号)。カウカウファイナンスの丑嶋馨氏は、闇金での借金を繰り返す最底辺労働者に向かって「こいつらに金を貸すのは、エビアンをトイレに流すようなもの」(「週刊ビッグコミックスピリッツ」5月10日号)と言っている。
さきごろ公開された会田誠さんの絵画作品「灰色の山」は、OA機器と絡み合い山積みになった無数のサラリーマンの死体の壮大な山。遠くから見るとわびを感じさせる水墨画にしか見えない3×7メートルのその超大作を見ていると、「ああ、日本はここまで来たんだなぁ」という意味のぼやけた感慨に捕らわれる。達成された「富の蓄積」がその山そのものに見えてしまうのだった。(ほ)

●2010年7月号

6月13日日曜日、サッカーの話題から遠く離れて、はやぶさ(現JAXAが打ち上げた小惑星探査機)のせつない帰還のニュースを追っていた。7年にもわたる60億キロメートルの苦難すぎる旅を経て、小惑星イトカワのサンプルを持ち、大気圏再突入。本体は大気圏で燃え尽き、分離されたカプセルのみがオーストラリアの砂漠に届いた。そこはアボリジニの聖地だという。
その様子は、まるでブラッドベリ『ウは宇宙のウ』や新海誠『ほしのこえ』、「2001年宇宙の旅」などを思い出させ、頭の中では坂本龍一の傑作「王立宇宙軍」の音楽がずっと流れていた。あれ以上にはやぶさの帰還に合う音楽はないのではないか。
大気圏で燃え落ちる流れ星状のはやぶさと、はやぶさが最後に撮った地球。その2枚の写真は、たしかに「現実がフィクションを超えたものを感じさせる」(森川嘉一郎氏のツイッターより)。
はやぶさは、ただの小惑星探査機という機械で、操作していたのはJAXAの技術者たちなのだが、ピクシブなどで大量に描かれたはやぶさを少女として擬人化したイラストや物語には、心を大きく動かされる。たしかにまるで無垢な少女が、がんばってがんばってがんばった末に自らの命を犠牲にして使命をはたしたようにも感じる。
その気持ちにどこかなつかしいものがあると思って考えていたら、それは「快獣ブースカ」だと気がついた。1966年~67年に放映していた特撮テレビドラマ。最終回、ブースカは地球のために自分が犠牲になってロケットに乗り込んで消えていくというものだった(たしか)。かわいらしい声で「ああ、それなら僕がいくよ」と、戻ってこられるかどうかもわからない危険な旅なのにとても楽しそうにブースカは話すのだった(たしか)。
そうかセカイ系のルーツはブースカではないか。はやぶさには、そんなセカイ系をはじめ、日本人の感情に染み込むいろんなものが入っているように思う。イトカワから持ち帰ったもの(モノリスか!?)の分析が待ち遠しい。(ほ)

●2010年8月号

美術家の村上隆さんが行ったニコニコ生放送における講義で、「日本において現代美術の人気が低いのはなぜか?  他のアジアの国々よりも低いのはなぜか?  答えは『マンガがあるから』。マンガが日本人にとっての芸術だから、現代美術なんか必要ないから」と話されていた。
思わず中条省平さんの「マンガだけでも、いいかもしれない。」という本誌連載タイトルを想起してしまった。
村上さんは、作品にとって大事なことは「構図。圧力。コンテクスト。個性」の4つだと言う。それぞれの意味は11月に小社より刊行される『芸術闘争論』を参照していただきたいが、西欧人に比べて日本人にもっとも欠落しているのは「コンテクスト」と言う。これは、ある作品が、過去や現代の重要であり普遍的な事柄の意味や表象を、どれだけ重層的に貫ぬいているのかということだ。
それで思い出すのが、本誌2009年1月号の「マンガだけでも、いいかもしれない。」での中条さんの苦言。『このマンガを読め! 2009』(フリースタイル)でベスト1に選ばれた、東村アキコ『ママはテンパリスト』(集英社)に対して、この作品は「単になかなか面白かったという程度のマンガ」で、「日本のマンガをなめるな、と八つ当たりのひとつもしたくなってしまう」。この順位は、日本にマンガ批評の場が成立していないからであり、日本人に「歴史意識」が欠如しているから、とされていた。
この「歴史意識」は、村上さんの「コンテクスト」とまったく同じ意味ではないか。「歴史意識」や「コンテクスト」がなければ、いつまでたっても批評のフィールドは成立しないという意味だろう。
私が09年に毎週もっとも楽しみにしていたマンガが、東村アキコ『ひまわりっ』(講談社)なのだが、いつかきっとこの作者と作品のコンテクストを論じてみたい。タイトルは「白い眼の起源」。(ほ)

●2010年9月号

仕事でニコニコ動画を真剣に5、6時間見たら、それ以降、普通の地上波のテレビを見ても、「あれ? 何で(視聴者の)コメントが入らないんだろう? コメントが書き込めないんだろう?」と思うようになった。頭がそのように受け取るように変わってしまっている。地上波が昔のような大大メジャーに返り咲くことはもうないのではないか。
タダ同然で有用無用な文章があふれているネットと出版形態の変貌で、この20年間にレコード業界が辿ったのとまったく同じような道を出版界が辿ることも間違いない。気がつけば、電車の中で本や雑誌を読んでいる人は少ない。ほとんどの人は携帯電話かDSかPSPで何かやっている。
しかし……「ゲゲゲの女房」にあったとおり、貸本の時代から週刊漫画誌の時代という出版業界の大転換期を、水木しげる先生は「ふへっ!」とか言って、夜中に女房と戦艦のプラモデルを作りながら、大きく未来を切り開いていったではないか。水木しげるは天才だからと言うなかれ。凡人の自分にもきっとチャンスはあると思って、奮闘するしかない。
今号より、編集長が竹村優子に替わりました。「星星峡」にますますのご期待を!! (ほ)